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Twitter考

  • 2007年12月 4日 18:23
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まず最初に述べておきたいことは、
『これは俺の個人的な考え方であって、twitterの使い方を強要、提案するものではありません』
という事です。
スタンス的なものを書きたいな・・と思って書いてみただけです^^

 

1.Twitterというもの

What are you doing? (何してる?)
この言葉通り、今この瞬間に何をした(思った)ことをただ羅列していくというのがこのtwitter。
基本として、特定の誰かへの直接的な行き場の無い発言をするところ。
それは自分の単なるぼやきであったり、誰かへ何かを伝えたいことであったり、
独り言であったり、メモであったり・・
つまりは『基本的に何でも書いて良いというシステム』
それを一纏めにしてtwitterという場へ全員で投げ込むwebサービスです。

しかもこのtwitter、通常のコミュニケーションの常である、
人として繋がりを持つ上での相手を認知し、許諾という定番の始まり方が非常にゆるいものになっています。
誰かtwitterをやってる人を見つけたら、とりあえずfollowしてその人の発言を見えるようにすることが出来ます。
別になんの許可も要りません。
人と新たに繋がりを持ったにも関わらず、信頼や責任などがほぼ発生しません。
(※twitterの仕様変更によって現在はコメントにロックが掛けられるようになり、誰にでも見える状態ではないように出来るようになりました。)

そこには誰かが発した発言であるというより、その一つ一つの発言そのものに意味があるように思えます。
「自分が発したもの」または「特定の誰かが発したこと」という発言者の存在が大分薄まっていてる感じで
数多くのコメント群の中のどれが輝くか、その光ったものにしか意味が無いと言ってしまっても過言では無いような気がします。

つまり誰か人という単位に対して意味があるわけではなく、

『他人 - 自分』 というより 『個々のコメント - 自分』 という関係。

ですから、その発言を投げた人のトータル的な人格であるとか価値観であるとかいうものは
あまり必要を求められていないような気がします。

それ故に自分の素直な思っていることなどが「誰かの価値観において許されざるもの」であっても良いという感じになります。
極端に言うと、ほぼ全ての人間に喧嘩を売るような発言でもワリと軽い気持ちで発言できるのではないでしょうか?
そしてその発言に対してあまり責任を負わないでも良いような気分になる。
なぜなら独り言だから。そしてそれは誰か特定の人へ向けた発言ではないから。
という暗黙の了解があると思います

逆に言うと、自分にとって光を感じない発言がなんだろうと関係ないわけで、
そしてこのtwitterというものの性質上、発言が光っていないことが多くなります。
fllowerが多い人であればその感覚が顕著になると思います

このままだと微妙な感じがしますが、それが大勢の中のひとつになることによって
その責任を負わなければいけない感が薄れ、
同時にエキセントリックな独り言の羅列になり、その発言群を俯瞰した場合に面白いです。
上手く伝える方法が無かったので勘違いをされている方もいらっしゃるかもしれませんが

自分は@コメントが嫌いな訳ではありませんw @挨拶は好きではありませんが・・

光る発言には喜んで@コメントを送ります。
自分のコメントに反応があった時も楽しいです^^

また、他のコミュニケーションで既に繋がりを築いている人が中に入った場合、
blogやmixiなどの責任を負わなければならない場で控えるような発言も、比較的安易に出来てそれはそれで楽しい。

それが俺の思う面白いtwitterです。


2.Twitterで面白くないと思うこと

上で書いたように、ここはなんでも書いて良い場所です。
当然その中には見たくないものも沢山あり、その判別基準は個々の趣味であるとしか言いようがないわけです。
しかしここは何でも書いて良い場所、その発言をとがめるのは筋違いです。
ですから、その趣味において見たくないコメントを見えないようにする機能があります。
「remove」と「block」です。
信頼や責任などがほぼ発生しない関係から始まった繋がりですから、
その相手に対して若干の申し訳無さは感じるものの、ワリと軽い気持ちでそれらを行使することが出来ます。
趣味と違うからとかいう理由で。
そこに深い意味など無く、その人の発言がある場合に自分の楽しさが損なわれてしまうからだけです。
別にその人が好きとか嫌いとかではなくtwitterを楽しむ上で趣味にそぐわないだけです。
人それぞれtwitterに対する考え方があるとは思いますが自分はそう考えます。

個人的な趣味のそぐわないことの具体例を挙げると

「@での過度なあいさつ」
これは面白くありません。しかもそれを楽しんでやる人は量も半端ではないことが多いです。
@挨拶は誰か特定の人だけへ向かっての発言であり、自分にとって100%無関係な発言だからです。
しかも内容が無いので光る発言になる可能性が極めて低いです。
さらに、殆どの場合挨拶は行っただけでは終わりません。返ってきます。
携帯端末からだとそれだけで20コメント埋まることもありました。
そういうコミュニケーションを楽しんでいる方とは趣味が違います。
ちょっぴり心が痛みますが、blockさせていいただきました。

「趣味のあまりに違う方で発言量の多い方」
根本的に楽しいことが違い過ぎ、それが頻繁に見えるのは面白くありません。
ちょっぴり心が痛みますが、blockさせていいただきました。

「過度に悲観的、自虐的な方」
上記と同じ理由です。勘弁してください。

あえてもう一度書きますが、それを止めろとか言う気は全くありませんし、
その人全てを否定するわけではありません。
このtwitterを楽しむ上で趣味にそぐわないだけです。
見えなくすることで自分の楽しい部分を減らさないようにしているだけです。

反対に、いつ何時自分がremove、またはblockされても仕方が無いと思っていますし、
それこそがtwitterだと思っています。


3.でも、自分は・・

すごくドライに楽しんでいると思っているのですが、どうやら他の大部分の人からすると
十分ウェットに使っていることになるようです(笑)
それは根本的な自分のポリシーや性分からくるものでちょっと変えようがありませんし
それを曲げてまでtwitterを楽しむかというと、それはありえません。
removeを使わないことや、あまり人を増やさないことなどがその表れだと思います。
あと、この文章w これこそがそのものだとも言えますね(笑)

どうしても、「できればちゃんと付き合いたい願望」が根底にあります。
twitterで仲良くなるということもやはりありえると思いますし、良い出会いもあるでしょうし
きっかけを作り、他のコミュニケーションツールで仲良くなる。
これは理想ですし、願ってます^^
ただtwitterを総合ツール化して信頼関係を築いていく気がないだけで。

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